ブレトン・ウッズ体制(ぶれとんうっずたいせい)
Bretton Woods system(ブレトン・ウッズ・システム)
ブレトン・ウッズ体制
1944年7月、米国のニュ・ーハンプシャー州ブレトン・ウッズに連合国44カ国が集まり、第二次世界大戦後の国際通貨体制に関する会議(連合国通貨金融会議)を開きました。これをブレトン・ウッズ会議といいます。
ブレトン・ウッズ会議では、安定した為替レートに基づいた自由貿易を発展させるための機関として、国際復興開発銀行(IBRD)が創設されました。また、国際通貨体制を支える機関として、国際通貨基金(IMF)が創設され、IMF協定が結ばれました。これをブレトン・ウッズ協定といいます。
また、ブレトン・ウッズで決められた国際通貨体制をブレトン・ウッズ体制または、IMF体制といいます。
≪金ドル本位制≫
国際通貨基金(IMF)は、金だけを国際通貨とする金本位制ではなく、ドルを金とならぶ国際通貨としました。1930年から1940年代には、世界のおおかたの金が米国に集中しており、米国は圧倒的な経済力を誇っていました。米国の豊富な金をもとに発行されたドルは、金と同様の価値があったのです。このように、ドルと各国の通貨価値を連動させたことから、ブレトン・ウッズ体制(IMF体制)のことを、金ドル本位制ともいいます。
金ドル本位制では、金とドルの交換率を、金1オンス=35ドルと決め、金との交換を保証しました。為替レートが固定されていたことから、この制度を固定相場制ともいいます。
また、為替相場の変動を平価の上下1%以内に維持することが決められ、ほとんどの加盟国が、ドルに対して1%より狭い変動幅に定めました。日本でも、平価を1ドル=360円に固定し、変動幅も国際通貨基金(IMF)に加盟した当初は上下0.5%、1963年以降は上下0.75%としています。
≪ニクソン・ショック≫
米国は、1960年代にベトナム戦争での大量支出や、対外的な軍事力増強などを行った結果、大幅な財政赤字を抱えることとなり、国際収支が悪化して、大量のドルが海外に流出してしまいました。米国は、金の準備量をはるかに超えた多額のドル紙幣の発行を余儀なくされ、金との交換を保証できなくなりました。
1971年8月15日、米大統領ニクソンは、ドルと金の交換停止を発表しました。これをニクソン・ショックといいます。これにより、ブレトン・ウッズ体制は崩壊しました。米ドルは信用を失って大量に売却され、市場で大暴落しました。ブレトンウッズ体制の崩壊により、国際通貨制度は、同年12月のスミソニアン合意にいたるまで、一時的に変動相場制へと移行しました。
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