マーシャル・プラン
Marshall Plan(マーシャル・プラン)
マーシャル・プラン
1947年6月5日、米国の国務長官ジョージ・マーシャルは、米国のハーバード大学で演説を行い、米国が欧州に対して経済援助を行うことを提案しました。
この提案に基づいて、欧州復興計画(ヨーロッパ復興計画)が立ち上がりました。これをマーシャル・プランといいます。
当時、第二次世界大戦(1939年~1945年)によって欧州全体が衰退する一方で、ソ連・共産主義が欧州全体を脅かしていました。
マーシャル・プランの目的は、戦争によって疲弊したヨーロッパを復興させ、ソ連・共産主義勢力の拡大を防ぐことにありました。
1948年4月、マーシャル・プランを受け入れるために、西欧諸国16カ国が参加して、欧州経済協力機構(OEEC)が設立されました。
米国は100億ドルを超える資金援助を行い、西欧諸国16カ国の経済は急速に復興を遂げました。
欧州経済協力機構(OEEC)は、1961年に経済協力開発機構(OECD)となりました。
一方、マーシャル・プランの受け入れを拒否したソ連と東欧諸国6カ国(ポーランド・チェコスロヴァキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニア)は、1949年に経済相互援助会議(通称COMECON:コメコン)を設立しました。
ソ連は、一度はマーシャル・プランの受け入れを決定したチェコスロヴァキアに受け入れを拒否させるなど、東欧諸国に対して圧力をかけ、米国と西欧諸国に対抗しました。
しかし、復興が遅れたソ連と東欧諸国の経済は低迷してしまいました。
米国は、マーシャル・プランで巨額の援助金を拠出しましたが、生産過多となっていた米国商品の輸出先として、欧州市場を確保することができたため、米国経済の発展に貢献する結果となりました。
1953年、マーシャルは、マーシャル・プランが評価され、ノーベル平和賞を受賞しました。
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