欧州統合の歩み(おうしゅうとうごうのあゆみ)
欧州統合の歩み
【欧州統合の歩み 戦争・欧州分断~欧州統合へ】
欧州(ヨーロッパ)では、古くから紛争や戦争が繰り返されており、欧州間の戦争を防ぐために、欧州各国を結束する欧州統合論が提唱されていました。
大国であるフランスとドイツの対立、第一次世界大戦(1914年-1918年)や第二次世界大戦(1939年-1945年)による衰退、東西冷戦による欧州分断…。争いを続ける欧州各国を1つに結束する…、悲願の欧州統合はどのように成しえたのでしょうか。その歩みをみてみましょう。
参考:分断された欧州
1923年 カレルギーが「パン・ヨーロッパ主義」を出版
オーストリアのリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーは、欧州統合の思想を著した「パン・ヨーロッパ主義(汎ヨーロッパ主義)」を出版し、一大旋風を巻き起こしました。
カレルギーは、ヨーロッパを1つに統合し、アメリカ合衆国のように、欧州合衆国を設立することで、ソ連の軍事的脅威やアメリカの経済力に対抗し、ヨーロッパに平和をもたらそうと提唱しました。
1946年9月19日 チャーチルが演説で「ヨーロッパ合衆国構想」を提唱
第二次世界大戦時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは、カレルギーの「パン・ヨーロッパ運動」に賛同し、スイスのチューリッヒ大学で行った演説で、「欧州は統合して、ヨーロッパ合衆国の創設すべき。そのためにドイツとフランスの協調が必要。第一歩として欧州評議会を設立すること」と訴えました。この演説をきっかけに、欧州統合を目指す動きが復活しました。
1947年3月12日 トルーマン宣言(トルーマン・ドクトリン)
米国のハリー・S・トルーマン大統領は、上下両院合同会議で、ギリシャとその隣国であるトルコが共産主義の脅威にさらされているとして、ギリシャへ3億ドル、トルコへ1億ドルの軍事・経済援助を要請しました。
以前からギリシャ・トルコ両国の援助に積極的に介入してきた英国が、経済的負担から支援を打ち切り撤退したことを受けて、米国が支援に乗り出すことを宣言しました。これは、ソ連の勢力拡大封じ込めを狙ったもので、東西冷戦の宣戦布告となりました。
トルーマン宣言における主張は、この後、マーシャル・プランや北大西洋条約機構(NATO)へと受け継がれていきました。
1947年6月5日 マーシャル・プラン(欧州復興計画)
米国の国務長官ジョージ・マーシャルは、米国のハーバード大学で演説を行い、米国が欧州に対して経済援助を行うことを提案しました。この提案に基づいて、マーシャル・プランが立ち上がりました。
マーシャル・プランの目的は、戦争によって疲弊したヨーロッパを復興させ、ソ連・共産主義勢力の拡大を防ぐことにありました。
1948年1月1日 ベネルクス関税同盟が発効
ベネルクス関税同盟(1944年9月調印)が発効し、ベネルクス3カ国間の関税が撤廃されました。
※ベネルクスとは、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3カ国のことです。ベルギー王国(Kingdom of Belgium)、オランダ王国(Kingdom of the Netherlands)、ルクセンブルク大公国(Grand Duchy of Luxembourg)の頭文字をとって、ベネルクス(Benelux)と呼ばれています。
1948年4月 欧州経済協力機構(OEEC)設立
マーシャル・プランの受入機関として設立されました。発起人はイギリスとフランスです。米国は欧州に100億ドルを超える資金援助を行い、西欧諸国16カ国の経済は急速に復興を遂げました。
1948年5月 ハーグ会議(欧州評議会の設立に関する議論)
オランダのデン・ハーグの国会議事堂で、各国政府の代表者、政治家、宗教家、学者、作家、ジャーナリストらが多数集まって、欧州評議会の設立について議論を交わしました。
1949年5月5日 欧州評議会創設
欧州における人権、民主主義、法の支配を確立させることを目的に、アイルランド、イギリス、イタリア、オランダ、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フランス、ベルギー、ルクセンブルクの10カ国が加盟して創設されました。
1950年5月9日 シューマン・プラン(シューマン宣言)
フランスのロベール・シューマン外相が、ジャン・モネの考案をもとに、フランスと西ドイツの石炭・鉄鋼産業を共同管理するという構想を発表しました。このシューマン宣言を基礎として、1952年に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が創設されました。後に、1985年の欧州理事会で、5月9日を「ヨーロッパ・デー」として祝うことが決まりました。
1950年9月 欧州決済同盟(EPU)創設
EPUは、欧州諸国間の貿易決済を円滑にする役割を担いました(欧州支払同盟ともいう)。
1952年7月23日 欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)創設
ECSCの目的は、あらゆる軍事力の基礎となる石炭と鉄鋼を共同管理し、加盟国の平和維持と経済発展を図ることにありました。その後、ECSCは、欧州経済共同体(EEC)を経て、欧州連合(EU)へと発展していきました。
1952年
ECSCの設立が成功すると、欧州防衛共同体(EDC)と欧州政治共同体(EPC)を創設する動きが起こりました。しかし、フランス国民議会が批准を拒否したため、どちらも実現には至りませんでした。
1955年6月1-2日 ECSC外相会議が「メッシーナ宣言」を採択
イタリア、シチリア島のメッシーナにおいて、ECSCの外相会議が開かれ、欧州経済共同体(EEC)および欧州原子力共同体(ユーラトム)の創設が決まりました。これをメッシーナ宣言といいます。
1957年3月25日 ローマ条約に調印
「欧州経済共同体」を設立するための条約と、「欧州原子力共同体」を設立するための条約に、フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス3カ国の6カ国が調印しました。
1958年1月1日 ローマ条約が発効
欧州経済共同体(EEC) および欧州原子力共同体(ユーラトム)が設立されました。
1963年1月22日 フランスとドイツが仏独協力条約(エリゼ条約)に調印
長期に渡るドイツとフランスの対立に終止符を打ち、両国の和解と友好、さらに欧州統合を推し進めることを目的に、パリのエリゼ宮でフランスのド・ゴール大統領と西ドイツのアデナウアー首相が調印しました。この独仏の協調関係は、欧州全体の枢軸となっています。
1965年4月8日 ブリュッセル条約(合併条約)に調印
欧州の3共同体(欧州石炭鉄鋼共同体・欧州経済共同体・欧州原子力共同)を統合する条約に調印しました。
1967年7月1日 ブリュッセル条約(合併条約)が発効
欧州の3共同体を統合し、欧州共同体(EC)が設立されました。
1968年7月1日 関税同盟完成
欧州経済共同体(EEC)は、欧州の域内加盟国間の関税撤廃を目指して段階的な取り組みを行い、関税同盟が完成しました。
1979年3月13日 欧州通貨制度(EMS)発足
EMSは、通貨の安定を図るために、イギリスを除くEC8カ国が加盟して発足しました。このシステムは、1999年1月1日にユーロが導入されるまで機能しました。
1985年6月 域内市場白書を承認
“欧州域内の単一市場を1992年末までに完成させる”ための具体的なスケジュールなどを明記したものです。EC委員会が1985年3月に欧州議会に提出し、同年6月にミラノ欧州理事会で承認されました。
1985年6月14日 シェンゲン協定に調印
加盟国間の人の移動の自由化を目指して、“共通の出入国管理及び共通国境の段階的撤廃”について、ECの枠外で取り決めました。
ルクセンブルクのシェンゲンで、ドイツ、フランス、ドイツ、ベルギー、ルクセンブルクの5カ国によって調印されました。
1987年7月1日 単一欧州議定書が発効
1992年の域内市場統一を目指し、欧州共同体(EC)の統合を完成させるために作成された議定書を発効しました。
1990年7月1日 経済通貨同盟(EMU)の第1段階が始まる
第1段階は、1990年7月~1993年12月で、域内市場統合(資本移動の自由化)を促進させます。
1993年1月1日 単一市場が始動
EC加盟国(12カ国)間の「人、モノ、サービス、資本」の移動が自由になりました。
1993年11月1日 欧州連合条約(マーストリヒト条約)発効、欧州連合(EU)創設
通貨統合の計画や、通貨統合参加に対する国内経済の一定基準を定めたマーストリヒト条約が発効しました。これに伴って欧州共同体(EC)は改称され、欧州連合(EU)が発足しました。
1994年1月1日 経済通貨同盟(EMU)の第2段階が始まる
第2段階は、1994年1月~1998年12月で、欧州通貨統合に向けた機構を創設、強化します。
1995年1月1日 オーストリア、フィンランド、スウェーデンがEUに加盟
EU加盟国は15カ国になりました。
1998年6月1日 欧州中央銀行(ECB)が業務開始
欧州連合(EU)の中央銀行(金融制度の中核となる機関)で、通貨統合参加国の金融政策・為替操作と、ユーロの発行を行います。
1999年1月1日 経済通貨同盟(EMU)の第3段階が始まる
第3段階は、1999年1月以降で、経済通貨統合(単一通貨ユーロ導入)を完成させます。
1999年1月1日 欧州単一通貨「ユーロ」誕生
欧州連合(EU)に加盟する15カ国のうち、11カ国が通貨統合参加国となりました。
1999年5月1日 アムステルダム条約が発効
アムステルダム条約は、マーストリヒト条約(欧州連合(EU)設立に関する条約)に修正を加えた条約で、新欧州連合条約ともいいます。1997年6月に合意、1997年10月2日に調印、1999年5月1日に発効しました。
2001年1月1日 ギリシャが通貨統合に参加
通貨統合参加国は12カ国になりました。
2002年1月1日 ユーロ現金の流通開始
ユーロ現金(紙幣・硬貨)の流通が始まりました。この日をEデーといいます。
2003年2月1日 ニース条約が発効
ローマ条約(EEC設立に関する条約)とマーストリヒト条約(EU設立に関する条約)に修正を加えた条約で、EU加盟国拡大を踏まえた改正が行われました。
2000年12月11日に南フランスのニースで開かれた欧州理事会で合意、2001年2月26日に調印、2003年2月1日に発効しました。
2004年5月1日 チェコ、エストニア、キプロス、ラトヴィア、リトアニア、ハンガリー、マルタ、ポーランド、スロヴェニア、スロヴァキアがEUに加盟
EU加盟国は25カ国になりました。
2007年1月1日 スロヴェニアが通貨統合に参加
通貨統合参加国は13カ国になりました。
ブルガリアとルーマニアがEUに加盟
EU加盟国は27カ国になりました。
2008年1月1日 キプロス、マルタが通貨統合に参加
通貨統合参加国は15カ国になりました。
2009年1月1日 スロヴァキアが通貨統合に参加
通貨統合参加国は16カ国になりました。
2009年10月5日 ギリシャで政権交代
ギリシャの財政赤字問題が明らかになりました。
2010年4月23日 ギリシャ政府が正式に支援要請
これを受けて、2010年5月2日、欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)が3年間で総額1100億ユーロの金融支援を決定しました。
2011年1月1日 エストニアが通貨統合に参加
通貨統合参加国は17カ国になりました。
2014年1月1日 ラトビアが通貨統合に参加
通貨統合参加国は18カ国になりました。
2015年1月1日 リトアニアが通貨統合に参加
通貨統合参加国は19カ国になりました。
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